病はからだの自己主張

病はからだの自己主張(自己表現)とは上手く言った言葉

頭が痛い、腰痛がある、寝られない、血圧が高くふらふらするなど時としていろんな症状に悩まされます。これはからだが「正常な反応」として注意警告しているということです。からだのほうからの自己主張ということになります。症状が出るということは喜ぶべきことなのです。

こんな時、明日は仕事があるので休んでいられないなどと症状を抑える薬を飲んで出かけることになります。そんなことの繰り返しでからだの正直な声を無視していますとやがてはあちこちの調子が悪くなり別の病も現れることになってきます。

人間とは本当に勝手なものです、自分の意志で心臓を動かせているわけでもないし髪の毛や爪を伸ばせているわけでもない、それなのに体の声を聴こうとしないのです。自分の都合でどうにかしたいのが人というもの。

これもはじめのうちは何とか誤魔化してやっていけるのですがいつまでもそうはいかない。やがて大きな代償を払わなければならないことになります。

症状さえも出なくなる

自分のしたいこととしていることが合致しない、精神的に抑圧された生活をするなどは病になる原因のおおきな要素です。それを解決するにはとても勇気がいるし努力がいる、そしてリスキーなことです。

真剣に見つめるのが怖い、楽なほうに負けてしまう、薬でとりあえず楽になる、ずっとそうしてしまう。そのうち薬をやめられなくなる、抜けられなくなるという困った状態になる。病気は突然やってきて治すのは医者とおもっていたりする。

まだ症状が出ているうちは良いのですがそれも現れないようになると困ったものです。体が自己主張(自己表現)することさえできない状態です。こうなると自分(からだ)自身が自分で分からなくなる。もう自分でも他者でも救いがたい恐ろしいことになります。

あちこちの医療や施術院をまわってくるかたのなかにこんな状態になっているのではないかと心配になるときあります。本当に無力を感じてしまうことも多いものです。

「病気を見て病人を見ず」

こんな時、正常なからだの働きである症状を「悪」と見て対処する西洋医学の方法に疑問を感じてしまいます。よく言われる「病気を見て病人を見ず」ということになるのです。つらい症状を楽にしてあげるのは大切であるのですが、ずっとそれを繰り返すことしかできないということは間違っているのではないでしょうか。戦争医学として発達してきた西洋医学の弱点ではないでしょうか。

自己責任で生きる

東洋医学の考えでは病を未然に防ぐことを理想とします。症状が出て病が重くなってから医者だ薬だと騒ぐのは下手なやり方であると言います。それで普段からの養生を大切にしています。不適切な精神生活、好ましくない環境、そして不摂生などはできるだけ改めたいものです。

そしてどうにもならないことはどうにもならないと腹をくくってしまうことだと思います。

「自己責任で生きてゆく」ことなのかもしれません。

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