氣を扱う鍼灸師になろうとする 続き3>

もう自分の意見は「棚上げ」して信頼できると思う人の意見、忠告、指導を素直に受け入れてみようという気持に切り替えてしまいました。何かをするとき相手の意見をまず取り入れることにしました。

そうすると不思議に次々に好ましい出来事に出会うようになっていったのでした。

わたしは思い切って職安に足を運んだのでした・・・・・・・・・。

<ここまで前回の続きです

最低生活するには先立つものがいる 職探しをする

ともかく最低の生活が送ることが出来なければなりません。しかしこの道から外れることは考えていませんでした。もうこの道しかないと思うようにしていました。そこで病院勤務で鍼をさせてもらえるところを探してみましたがそう簡単に見つかるものではありません。ともかく再復帰のための資金を作ることと、あまりに貧弱であった自分の医学知識を少しでも高めること、そしていろんな実際の患者さんたちに出会えるためだけでもよいと思いとある病院の求人に応募してみることになりました。

面接をうける

面接の担当の方に今までの経緯と困窮状態のことを隠さず話してみましたところとても暖かい対応をしてくださり有難いことに雇っていただけることとなりました。そのうえ鍼灸施術もさせてもらえるとのこと。勤めてみますとたいへん働きやすいところで一生懸命働いていますと毎日の仕事が楽しいものになっていました。この時の面接の係りの方は病院のとても地位の高い方であったことが後でわかりました。それ以降この方にはほんとうによくして下さりずっと感謝しています。

たくさんの患者さんに出会える毎日

医療法人グループの新規開院の病院のスタッフの一員として雇われましたのでなにもかも新しく新鮮でした。目的の一つ、たくさんの患者さんにふれられること、今まで見たことも聞いたこともない病名の患者さんに実際に出会えること、レントゲン写真やMRI画像をたくさん見る機会がえられたことなどたいへん勉強になりました。何よりも勉強になったのが医療スタッフはもちろんたくさんの人々に出会えたことだったかもしれません。ひとり細々と開業して毎日時間を持て余し暗く落ち込むことを思うとこれはとても勉強になりました。

退職の決断をする

当時、世間一般に鍼灸師は裏路地の長屋の冴えない場所で開業している職業の人というイメージがまだ強くあり、現在のように鍼灸大学などない時代です。そのうえ病院にとって鍼灸師の立場は儲けにならない資格です、自由なくらい働かせてもらいありがたかったのですがその位置づけは辛いものがあります。いつもどこかに気のひける気持ちがありました。それでも楽しく過ごせていた勤務生活の日々でしたがやはり鍼灸師は鍼灸開業することであると思っていましたので思い切って退職の決断をすることになりました。「嗚呼!言ってしまった・・・」もう後ろを見ないで真っすぐ進むしかありません。少しばかりの退職金と貯蓄、2年程の運転資金も出来ましたがこれでだめであったらもう止めても「納得できる」という気持ちでした。

「私の鍼灸人生納得記」残念ながらSuccess Storyではありません (^^)    たぶん続く>

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