氣を扱う鍼灸師になろうとする 続き2>

鍼灸のみで生きるのは厳しかった

昔から鍼灸のみで生活していくのはとても難しいといわれます。今でもそうでしょう。卒後すぐで、ましてや氣を見て鍼灸施術をするということなどは至難の技かも知れません。そこで何か別のものを併用してやる、これが曲者。どっちつかずになり結局なにもものにならない。それは頑としてやらない、私は頑張りました、ですがそれは所詮凡人には無理なこと、苦しい生活が続きます。

そして耐え兼ねてしきり直しということになってしまいました….

<ここまで前回の続きです

落ち込む気持ちを力づけてみたりしていた

保険治療をして人集めをする、こんなことも考えましたが私の性格からこれは準備を始めたものの無理であると思い諦めることになりました。そんな施術は面白くもないし施術技術とは直接関係ないこと、取り扱いに沢山の制限事項があるうえ書類を仕上げるために西洋医学の医者に頭を下げてお願いする、こんなことは出来そうでない。また、保険で対応できる疾患は整形疾患がほとんどであることなどもやりたくない原因の一つでした。生活のため、お金儲け優先で人様に鍼をするなどと考えると嫌でたまりませんでした。このときよく読んだのは小里勝之著「私の治療室から」の”私と経絡治療”や、竹山晋一郎著「漢方医術復興の理論」など何度も読みとかく落ち込む気持ちを力づけていたものです。

自分の意見は「棚上げ」する

そして自分の甘さもどこかにあったと思うのですが「門前雀羅を張る」でとうとう仕事を続けることが出来ないと腹をくくったのでした。悩みました、考えても考えても答えなど出るはずもない無駄なこと(このとき、考えることは無駄なこととよくわかりました、ともかく体を動かすことが先)。人生最大のピンチでありました。このときいろんな宗教にも首を突っ込んでみました。禅のお寺に押しかけ入門?したりキリスト教の教会にも行きました。そしてもう自分の意見は「棚上げ」して信頼できると思う人の意見、忠告、指導を素直に受け入れてみようという気持に切り替えてしまいました。何かをするとき相手の意見をまず取り入れることにしました。

思い切って行動に出る

そうすると不思議に次々に好ましい出来事に出会うようになっていったのでした。

わたしは思い切って職安に足を運んだのでした・・・・・・・・・。

現在鍼灸専門で毎日脈をとりながら何とか生業を立て「自分では気に入って生きていられる」のですが、夢いっぱいの若い鍼灸師の先生の中には昔の私と似たような悩みを現在お持ちの方がおいでになるかも知れません。身近で開業して同じようにほどなく閉業された方もみてきました。もうこの歳になりますとこんな恥ずかしいことも書けるようになってきましが、自分のしたいこと、思いを大事に持ち続けていけたらなんとかなるような気が今しています。

たぶん続く>

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