三密加持と鍼灸術

コロナ騒動で三密という言葉を聞いたときは驚いたものです。

三密とは身密(身に印を結ぶ)、口密(口に真言を称える)、意密(心に本尊を観じる)の三つのことでそれがそのまま仏の三密と相応して仏の加護を受け仏と同一となる真言密教の修行法のことのはず。

三密加持

真言行者が三密を行ずるとき、仏菩薩の三密と平等相応して、相互に融合し、一体となること。仏の三密が大悲をもって行者の心に応ずるのを加といい、行者の信心が仏の応現を感ずるのを持という。

*即身成仏義(823‐824頃)「漸次修練不レ捨二此身一進入二仏位一、具如二経説一。依二此義一故曰二三密加持速疾顕一」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/30 07:47 UTC 版)

鍼灸術は三密加持とよくにている

鍼灸術に三密加持を当てはめてみると

三密のうち身密には鍼の「押し手刺し手」という形が(刺鍼体勢も含まれるか)、口密として、これはどこかにあったはずだと思い返すと鍼灸重宝紀のなかの補写迎随の論に「・・・呼気にしたがひて食指をそへ大指にて和かにひねり下すとき、咒して曰く五帝上真六甲玄霊気付至陰百邪閉理と三篇捻ず。・・・写は肘を下げ・・・略・・・咒を念ずるときは一心鍼に念をよするぞ・・・」とのことが書かれている。意密にはこれは鍼灸施術をする者にとっては当たり前のことですがよくなってほしいと思う気持ち、それを祈るココロがそうだとおもいます。

とてもよく似ている流儀ではないでしょうか。

すれば鍼灸術にとって「仏」にあたるものとはなんでしょうか?

まだまだ修行中….^^;

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