医者には上中下の三品あり

-江戸時代の本草学者、儒学者 貝原益軒の「養生訓」から-

上中下の医者

人身、病なき事あたわず。病あれば、医をまねきて治を求む。医に上中下の三品あり。上医は病を知り、脈を知り、薬を知る。此の三知を以って、病を治して十全の功あり。まことに世の宝にして、その功、良相につげる事、古人のごとし。

下医は三知の力なし。妄りに薬を投じて、人をあやまる事多し、夫れ薬は補瀉,寒熱の良毒の気偏なり、其の気の偏を用て、病をせむる故に、参茋(ツリガネニンジンのことか?)の上薬をも妄りに用ゆべからず。其の病に応ずれば良薬とす。必ずこのしるしあり。其の病に応ぜざれば、毒薬とす。ただ益なきのみならず。また人に害あり。

また、中医あり。病と脈と薬をしる事、上医に及ばずといへ共、薬は皆気の偏にして、妄りに用ゆべからざる事をしる。故に其の病に応ぜざる薬を与へず、前漢書に班固が曰、病ひありて治せざれば常に中医を得よと。云意は、病あれども、もし其の病を明らかにわきまへず、其の脈を詳らかに察せず、其の薬方を精しく定めがたければ慎んでみだりに薬を施さず。ここを以って、病あれども治せざるは中医の医なり。下医の妄りに薬を用いて、人をあやまるにまされり。故に病ある時、もし良医なくば、庸医(つまらない藪医か)の薬を服して、身をそこなうべからず。只、保養をよく慎み、薬を用ひずして、病のおのずから癒ゆるを待つべし。如比すれば、薬毒にあたらずして、はやくいゆる病多し。

こんなふうに読んでみる

人は病気にならということはなかなか避けられないものです。病気になると医者にかかりますが医者もいろいろ、腕の立つ医者から藪まであるとおしえています。

腕のいい医者は病をよく診断し、脈を診、薬の(鍼や灸とみてもよいか)使いかたを知っています。藪医はこれらのことに疎く妄りに薬を盛り(鍼灸であれば”証”も明らかにせずあれもこれもとやたら鍼をたくさん刺し、鍼の長短、深浅、操作などよく理解しないまま)病人をより悪化させることになります。薬は(鍼や灸も)理論と技術にのっとったうえそれを用いることで病を治すことができるものです。いくら良いといわれる治療法も適した用い方をしなければかえって人を害するということになります。ほどほどの医者は以上のことを案外わきまえていて病人をそう悪くさせることもないけれど治りもしないのでまだ藪医よりましかということになります。

病気になったからと急いで医者にかかるのもよくよく考えなければいけないようです。よい医者がみつからなければ、安易に医者にかかって体を壊すことがないように、また保養を(病気になった原因や生活習慣の改善、心持の改めなど)よく慎み、薬を(慰安的な治療などを漫然と続けるのも)むやみに用いず、病がおのずから癒えるのを待つという方法もあり、こうすれば、薬毒にあたらず(薬やその他いろんな治療法での誤った治療によって)して、はやく癒える病多しとおしえています。

簡単に医療にかかることが出来、たくさんの薬を安易に服用がちな現代人にとって大切な戒めであると思うのです。また鍼灸施術をおこなうものにとってもいつも心していなければならないことでもあります。

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