気とエーテル体

鍼灸術の古典医学書には随所に「気」のことが書かれています。
そして気がありありと感じられその気を操作することがとても大切である表現がなされています。
「気」とはなんであるかという問題はあまりに広い範囲の事柄が含まれているためそれを定義することはなかなか難しいことですが、この気と神智学などでいわれる微細身の関係がちょっと面白そうなのでわたしの行っている鍼灸術の立場から考えてみました。

気の感じ方はいろいろ

古典の中や臨床家の言うには、気を感じた時は温かくなる、じりじりする、ざわざわする、重くなる、魚がかかった時にように感じると様々にいわれます。
また反対に気というものを否定する立場の治療家もいます。長く臨床を重ねても気を問題にしない、概念的なものでしかないとされることも多いようです。
むしろこの立場にあるひとのほうが多いのかもしれません。

個人差のことはさておき私には気は具体的に「感じ」「触れ」存在しているものなのです。
そしてこれが「気」であると思っています。

気を感じ始めてからその感じ方はいろいろな変化をしてきました。
はじめのうちは蟻走感のようなものから熱感、そしてお湯が体を流れるような感覚と様々でした。
むしろ今ではそれがなくほわっとした充実感のようなものと空虚感のようなものとして感じられるようにかわってきました。

鍼灸施術をしていて気が付くことであるが鍼が刺さらずとも脈は変わるし変化、効果も出る、離れて鍼をかざしただけでも同じことが起こる。相手の感情が変われば影響されるしこちらの変化も察知される、鍼が効いたか効いていないかもだいたい感じられるようになる。いつも安定して感じられるというものでもないのですが…。

気と波動的高次の微細身

ところで

神智学などでいわれる人間を波動的存在としてみた区分で、物質的肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体・・・、と幾層にも分けられていますが鍼灸術は物質肉体からエーテル体の部分、そして感情体と言われるアストラル体、もっと上達すればそれ以上の世界にまで影響を与えることができるのではないかと思います。その中でも気とエーテル体はとても近いもののように思います。

エーテル体とは:物質である肉体と肉体に重なるように存在するとされる高次の目に見えない(見えるという人もあるが)存在体の中の一番肉体に近い部分とされるところで、エーテル体もグラデーションの状態にあって、肉体に近いものからより高次のアストラル体に近い微細体へと重なっているのであろうと考えます。

経絡は肉体とエーテル体との接点

全米ベストセラー、物質医学を超えて「バイブレーショナル・メディスン」リチャード・ガーバー著 命を癒す<エネルギー医学>の全体像 には経絡のツボは物質的肉体とエーテル体の接点を受け持っているという研究が載っています。

経絡:人体にあるとされる気の流れ道。解剖学的にはまだ証明されていない。目にも見えないが慣れてくると感覚的にわかるようになる場合がある。受精してからまずこの経絡系が先にでき、次にこの経絡系の先導によってからだの構造物が発生してくるとの研究結果がある。エーテル体やそれ以上の高次の微細体が先に発現して物質肉体が出来上がるという。

高次微細身に包まれて生きているということ

もうすこしエーテル体の特徴を考えてみますと、エーテル体は物質肉体を生かしている生命体かもしれません。肉体が一部無くなるとか障害を受けるとエーテル体は徐々にその部の存在に変化が現れすぐになくなることはないとされ、急に肉体の死が訪れてもエーテル体はすぐにはなくなることはないともいわれます。「チベット死者の書」の四十九日間の枕経などは死者の魂が迷わずより高次の微細身世界へいけるよう唱えるのだと私は思います。逆に高次の微細体から変化が起こってくると最終的にエーテル体を通し肉体にその変化が結果としてあらわれてくるといいます。

いかに精神状態や潜在意識、より高次の意識が肉体に影響を現わすかということなのでしょう。

われわれの肉体は微細身の構成する人体生命観のなかに包括されたものとして生き、より高次の微細身世界に上昇できる様努めることがたいせつなのではないでしょうか。

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