脈診伝統古典鍼灸術 仁木鍼灸院


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 気を感じる話【その1】

毎日古典的鍼灸術の臨床をしていますといつの間にか気を感じるのに敏感になっていくようです。

着衣の上からそっと触れて何故悪いところが判るのですかとよく患者さんに聞かれるのですがそのほうが悪いところが見えやすいのでそうしています。長年患っている部分は気の層が弱く薄く感じられ、むなしいような寂しさにも似た感覚があり、いっぽう比較的新しい患部では重い感じのような熱感というのか濁気というのか不快感(邪気?)を感じるものです。たとえば四肢の片方の関節に直接触れてもわからないほどの軽い炎症などあるときなどに両方同時に同じ速さで動かせてもらうと着衣の上からでも悪いほうにはまとわりつくようなちょうど曇天のような気配と雲がかかったような重さとだるさがいっしょになったような感じがするものです。感じというと漠然としてしまうのですがこれはもっと具体的、適当な言葉がないのですがむしろ「みえる、存在している」というほうが近いかも知れません。とくに頭部など人体上部ではこの感じがはっきりと感じることができるように思います。体から数十センチ、もっと離れているかもしれないくらいまで気が放出されているのが感じられることがありますし、気の弱いところと強いところがまだら模様のようになっていることもよくあり臨床では困らされることもしばしばです。

てい鍼のところでも書いたのですがうまく気が送れたとき(送れたのか?大きな気の世界に同調したのか?どう考えてよいのか判らないのですが...)には快感があり、そうでないときには術者まで疲れてしまったりします。不思議なことなのですがうまく施術できたときには長くそのことがからだ全体で感じられるのです。不幸にもそうでないときにはとても疲れが継続してしまいます。また患者さんが入ってこられる時や壁の向こうに待っておられるときにかえって体調や気分がわかりやすいことがあります。気は何段階(何層)にも感じるようになっているのかもしれません。意外に離れたほうが判る気もあるのでしょうか。心臓の鼓動

またはるか遠く離れていても感応する気もあるのかも知れません。

気は心と肉体の中間的な存在なのではないでしょうか?具体的に存在するエネルギーであり意識すればそのなかに意識されたものが入ってまた別の作用が働くようにもおもいます。パワースポットなどが世間では話題になっているようですがもしかしたらこれも感じる人にはご利益あるのでしょう。さきに述べた気の弱ったところに関しては施術していますととてもお互い気持ち良くなってきます。ときには幸せ感にも似た感覚がしてきます。重篤な状態のひとにはとても気持ち良いと喜ばれますし気の感じ方がたいへんに敏感になっていることがおおかったりするので温かい気ではなく熱い浸みこむような感じだといわれたりもします。古典的鍼灸医学の世界には生気、邪気という言葉がたくさん出てくるのですがこれは古代の人々にとっては実はおおくの現代人が考えているような概念的なつかみどころのない気ではなくもっと具体的、実感的なものとしてとらえられていたのではないのでしょうか。

太古の昔より人間はこうやってお互い窮地に立たされた時には力を与え合い、ある時は奪い取る能力として気の力を利用していたのかもしれません。自分の生活環境でもわるい気にあてられないほうがよいであろうし普段から自身の良い気を守り高めるようにヨーガや気功、太極拳、食養などで努めて健康を維持することがだいじとおもいます。


自然の山々

2015/04/18
Regro